鬱型ひきこもり~暗苦からの脱出経路~

鬱症状に悩まされ、青春時代の全てをひきこもり生活に費やした30代男性の記録。自殺を図るまでに苦しんだ10代から、社会人として復活を遂げるまでのエピソードを書いています。

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退院後

約2ヶ月ぶりの更新となります。


更新停止中に来てくれた方、申し訳ないです。

コメントがなかったため、モチベーションが上がらず放置していました。




喘息での入院後、体はだいぶ回復した。

この頃母は、私を高校に入れようと必死だった。

けれど私は、学校と名の付くものには行く気が全くなかった。

そういう点を母は理解していなかった。

母のそうした行動は、私の将来を思っての事だとわかってはいたが、それに応える気力は無かった。

もし学校に行っていたら、荒れた生活を送っていたに違いない。


それでも私は、少しずつ鬱からの立ち直りを感じ始めていた。

中学時代から通学で愛用していた自転車に乗り、近所の海をよく見に行った。

家から出るのさえままならなかった自分に、変化が現れ始めていた。
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[ 2012/07/07 01:10 ] 苦しみの日々 | TB(0) | CM(0)

喘息で入院

16の夏、喘息の発作で入院した。


このまま死ねたら良いと、心底思っていた。
発作で苦しみ、弱る体を「そのまま死ね!死ね!」と念じ続ける日々だった。


ところが、そんな夜。
冷気が肺に入り、最高に苦しくなり、暗い意識の底で、湧き上がるものがあった。



死にたくない


頭ではなく、体の奥底から出て来た声だった。

人間とは不思議なもので、体が弱れば心が力を出す。
心が弱れば、体がなんとか支える。
両方が噛み合わないから、本来の力には程遠いけれど、ギリギリに追い詰められると底力というものが発揮される。



この内面の変化があって、体調が回復し、退院後は、「なんとか生きてみようか」と思うようになった。
けれどこの時、鬱症状は既にあり、すぐに「何かをしよう」と思えるような状態ではなかった。


「なんとかしたい」と思いながらも、苦しみは消える事無く、ひきこもり生活は続いた。

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[ 2012/05/17 22:53 ] 苦しみの日々 | TB(0) | CM(0)

卒業後ひきこもる

保健室登校で出席日数を稼ぎ、なんとか中学を卒業した。


高校へ行く気力は無かった
そこに価値も見出せなかった


毎日、「どうやったら死ねるんだろう?」とばかり考えていた。
異常なストレスと苦しみの日々だった。
自分を責めて、悲しい気持ちになっているその心の中のどこかに、「それが正しいんだ」という肯定感があった。
悲しみこそが人生なのではないか、とさえ思うほどだった。


心配した親は、私を精神科に連れて行った。
何件か回った末、養護施設のカウンセラーの所に落ち着いた。

カウンセリングでは、日々のストレスを吐き出すのみ。
一言も喋らない日もあった。

結局、カウンセリングとは、吐き出しと引き出しを行うのが目的のようだった。
具体的解決に協力してくれるわけでもない。
してくれるとしたら、病院の紹介ぐらいだ。


ある日、「これなら死ねるかも」と思い付いた私は、持病の喘息用の気管支拡張剤を処方されているぶんの残り全てを服用した
心臓がバクバク鳴り出し、体調は悪化。
とても苦しくなった。
しかし、中途半端な量だったせいか、死には至らなかった


両親が居ない間に、包丁を持ち出して、「何故自分自身で動脈を切って死ねないのか」と考え悩んだ。


そんな日々の転換機は、突然訪れた。
喘息の発作が起き、入院する事となったのだ。

16歳の夏だった。


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[ 2012/05/16 23:47 ] 苦しみの日々 | TB(0) | CM(0)

保健室登校

中学2年生2学期から学校に行かなくなった。

学校に行く意味が無かったからだ。
この頃既に、ストレス症状が出ていた。
死にたくて死にたくてたまらなかった

自殺も図ったが失敗した
生き恥を晒し続ける自分が許せなかった。


それでも、3年生に進級してからは、出席日数を稼ぐために保健室登校するようになった
この頃既に私はおかしかった。

もはや、私は世の中の価値観から大きく外れていた。
国歌どころか、わけわからないうちに作られた町民歌さえ歌わなかった。
授業にはもちろん出なかったし、出たら出たで教師に食ってかかった。
気に入らなければ途中退席もした。

人と関わるのが煩わしい時は、授業中であろうと学校を抜けて無断外出した。
とにもかくにも、学校という空間が異常なストレス源だった。
今でも私は、学校は「教育という名の国家的洗脳の場」だと思っている。


今になって冷静に振り返ると、死を選びたくてしょうがなかった事を除けば、不愉快な社会システムから無理に外れようとしていた時期であったように思う。
先人達が作り上げてきた社会システムそのものを否定してもしょうがない。
自分の望む生き方をするために、「上手く利用する」ぐらいの感覚で良いと思う。

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[ 2012/05/12 22:26 ] 苦しみの日々 | TB(0) | CM(2)

得体の知れない社会への恐怖

学校なんて行く意味が無いと思った。


基礎学力は必要だ。

けど、それだけなら自宅学習でもなんとかなる。

学校で本当に学ぶべきは、規律と強制に満ち溢れた社会での生き方だと思う。

頭にウジわいてんじゃねーかって奴の対処の仕方とか、集団活動における上手い立ち振る舞いとか。

そうしたものは実社会でも役に立つ。

人間の基本なんて10代の頃からそうは変わらないからね。


この日記を見に来た10代の若者は、「30過ぎて偉そうにしてる『大人』って生き物、実は大した事ねぇな。」って思った瞬間ってあると思う。

私はしょっちゅう思ってた。

偉そうにしてるくせに間違い犯しまくるし、そのくせ謝らないし反省もしない。

自らの進歩を止めた愚物に見えたね。

そうじゃない人も少ないながら存在はする。


そんな愚物は、いたずらに「社会は厳しい」などとほざく。

その厳しさの正体は、お前らみたいなクズが上でのさばって、わざわざ「厳しい環境」を作り出しているだけじゃないのか、とも思う。

それは1つの側面であって、他にもいろんな厳しさはあるんだけど、ただひたすら「厳しい」と言われても全くピンと来ない。


「仕事をするって大変」「すごく難しい事をしている」ように当時は感じていたけれど、やってみたら実はそうでもない。

トイレでウ〇コするようなもの

お尻の拭き方、紙の質、タイミング...そういったスキルの熟練度が違うだけだ。


不登校になっていた当時は、そうした社会の中身が全く見えず、闇雲に「厳しくて辛いもの」というイメージしかなかった。

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[ 2012/05/07 12:49 ] 苦しみの日々 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

D.O.R

Author:D.O.R
10代はずっとひきこもり生活。

青春時代なんて無かった。

鬱症状も出始めた。

家族の支えで徐々に回復。

時間はかかったけれど、20代半ばで就職。

鬱症状も回復し、やっと「人生やっていこう」と思えるようになった。

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